奥田三角 ものがたり
揥水まちづくり協議会
史跡整備・広報チーム 制作(平成26年11月)
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みなさんが通っている揥水小学校の「揥水」、いい名前ですね。
では、この「揥水」という名前の意味を知っている人はいますか?
「揥」は「櫛」のことで 「揥水」は「櫛田川」という意味があります。
それでは、誰がこの名前をつけたのでしょう?
それは、これからお話しする奥田三角さんという人が「揥水」という名前をつけました。
また、奥田三角さんのご先祖様は「豊原」という名前をつけました。
では、この奥田三角さんとはどういう人だったのでしょう。
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むかし、むかし。今から約三百年以上も前、江戸時代という、お殿様やお姫様がお城に住んでいた頃のお話です。
三角さんは、今の櫛田郵便局の辺りの、いくつもの庄屋さんをまとめる大庄屋に生まれ、大きなお屋敷に住んでいました。
その時の名前は「士亨」と言いました。
三角さんとは、大人になってからの名前です。
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さて、その三角さんは、小さい時から本を読み勉強することが大好きでした。
三角さんの時代の勉強は、難しい言葉で「儒学」といいます。
どんな勉強かと言うと
「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」
自分が人からされて嫌だと思うことは人もいやだからしてはいけないよ
ということや
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「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや」
勉強したことを復習していくと、いつかよくわかるようになる。それはとてもうれしいことだなぁ
こういった文章を声に出し読んで、覚えることから勉強を始めていきました。
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ある日、勉強を教えてもらっていた先生から「三角さん、立派な先生になるには、京都にみえる伊藤東涯先生に勉強を教えてもらうのがいいですよ」と言われました。
それで、三角さんが十九歳の時、京都の伊藤東涯先生のところへ行き、十年ほど一生懸命に勉強しました。
その結果、東涯先生から「三角さん、あなたは本当によく勉強しますねぇ」と誉められるようになりました。
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三角さんが二十八歳の時、三重県の津にあったお城のお殿様に勉強を教える係になりました。
三角さんはお殿様に、とても丁寧に詳しく説明できる方だったので お殿様までもが 三角さんのことを「先生、先生」と呼んで尊敬したそうです。
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ところで、みなさんは、作文を書くのは好きですか?
三角さんは、作文を書くのが好きでした。
その作文には、津の海でラッコを見た話や、ベトナムという国からやってきた象を見た、という話も書いてあります。
昔は、水族館や動物園はなかったので、ラッコや象を初めて見た三角さんや当時の人はびっくりしたようですよ。
また、三角さんは馬に乗ったり、弓を射ることも好きなスポーツマン。
そしてお花、特に蓮の花が好きだったそうです。
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三角さんは、とても偉い先生になりました。
でも、全然威張りませんでした。
「三角先生、この意味がわかりません」
「そうですか。それはですねえ…」と言って親切に教えました。
また、「先生、あのグループを仲間はずれにしましょう」 という人がいると
「これこれ、そんなことをしてはいけません。みんなで仲良く勉強しなくてはいけないのですよ」という先生でした。
「三角先生、私に勉強を教えて下さい」 とたくさんの人が集まってきました。
「そうですか。それでは一緒に勉強しましょう」
三角先生のところには、八百人もの生徒が 集まってきたそうです。
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三角さんは、年をとってから、この豊原町に「三角亭」という名前の小さな家を建てました。
三角さんは、家も部屋も三角形にしました。
どうして、三角形にしたのでしょう?
みんなが使っている四角形の部屋より、三角形の部屋の方が使いにくいはずです。
でも、三角さんにとっては、とても楽しい、わくわくする部屋でした。
「三角形大好き 三角さん」は 窓、机、本棚、そして硯までも、三角形だったようですよ。
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ところで三角さんにとって、三角形はどんな意味を持つのでしょうか。
コップに水を入れ過ぎるとこぼれます。
月はまんまるになると、欠けていきます。
このように何でもいっぱい過ぎると、失うものが出てきます。
「ひかえめに」を大切にする三角さんは、四角形より、線が一本少ない三角形の方がよいとしました。
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そんな三角さんは、八十一歳で亡くなりました。
三角さんのお墓は、豊原町の「枕山」というところにあります。
三角形が好きだった三角さん。
「私のお墓も三角形にしておくれ」とお願いしていたのでしょうか、
石のお墓の上の部分が三角形になっています。
勉強熱心で、誰からも好かれた三角形好きの三角さん。
三角さんは 私たちに「揥水」というすばらしい名前を残してくれました。
奥田三角さんは、私たち 揥水校区の大事な宝物です。